こんにちは、ジータです。
19歳の僕が初めての海外一人旅に選んだのはインドだったとです。
なぜインド?と思われたかと思いますが、僕にも分かりません。。当時の僕は多分、友達もおらず病んでいたんだと思います。(確か、サイババブームが去った後くらいだったかな。。)
推測される理由:
①インドに行けば人生観が変わるとどこかで聞いて、何かを変えたくてインドを選んだのかなと。(自分が変わらないと変わらないんですが、当時は他力本願でした。)
②当時19歳だった僕が言葉の分からない国でどれだけで出来るのか、自分を試すテスト的な感じで行ったと記憶しております。
結果は何も変わらなかったですし、惨敗というか、装備こん棒のレベル3の勇者達がゾーマ(ラスボス)と戦ったような感じでしたね。正に瞬殺。インドでは連戦連敗でした。
ビザを取る
まずここで躓いた。まず、未成年は親の承諾が必要なんで母ちゃんを説得。母ちゃんは「なんでインドに行くとね?」と納得してくれん。理由は上記ですから、意味分からんですよね。。説得にかなり時間を要した。母ちゃんには男のロマンが分からんとです。。
ビザを取る必要があり、書類を作成して大阪の大使館に行ったが、何回か書類を突き返されたような。。そこまでしてインドに行きたくねえよって、心が折れかけた記憶がある。なんで、インドのビザはハードルが高いのでしょうか。(コロナ前ですが、E-VISAみたいなやつで取りやすくはなってましたが。。)
飛行機
香港経由だったかと思うが、何かのトラブルが発生して(アナウンスが英語だから何が起こったか全然分からない。)、なされるがまま、ホテルに連れて行かれて香港で一泊させられた。悪い予感しかしない。。
デリー(ニューデリー?)に到着
やっと着いた!と思ったら夜中。。機関銃持ってる兵隊がウロウロしてるやんけ。。で、出口に怪しいインド人が沢山待ってる。草食動物が川を渡るのを待っているワニ状態。確実にカモられる。。
しかし、夜である。。一度一人で空港を出て歩きましたが、暗すぎてどこを歩いてるか分からない。空港に引き返し、ワニの中へ。。
ワニの中でも比較的人が良さそうなワニに「ホテル」っと一言伝えて連れて行ってもらう。確実にカモられた。まず、変な服の店に連れて行かれ服を買わされ、アクセサリー屋でほしくもない物を買わされて(何か買わないと進まない)やっとホテルへ。とりあえず、寝かせてくれ。ホテルでも訳の分からんものを薦めてくる。部屋へ案内してくれよ。。やっと部屋に着いたと思ったら、ドアをドンドン。押し売りだよ。。頼む、寝かせてくれ。。
次の日
朝からハイテンションのインド人がドアをドンドン。正直、もう帰りたい。このまま一か月この部屋にこもってそのまま帰ろうかと思ったくらい、外に出たくない。外に出ても、ろくなことがないに決まっている。
一日、部屋にこもって考えた。このままこの部屋にこもっても、インドに負けたことになる、とりあえず、挑戦しよう。
それから次の日
ホテルの部屋から一歩踏み出した。引きこもりが外の世界が怖いってこんな感じなのかな。。ホテルの店員がごちゃごちゃ言ってるが、無視してそのままぼったくり料金を払って出て行った。
インドの風景。。それは衝撃だった。牛が道端を普通に歩いとるやんけ!道も舗装されてない。。サルもたまにいる。フルちんで歩いてるおっさんもおる。なんじゃ、ここは。。
10代の僕にはすべて衝撃だった。テレビで見るのと実際に見るのはここまで違うのか。
感覚的に言うと裸でサファリパークに投げ出された感じ。
はっきり言って前に進みたくない。。ここで一か月滞在した方が楽だなと悪魔のささやきを振り切って、とりあえずカルカッタ(現在コルコタ)まで行ってみようと決めた。
タージマハル
インドに行ったら見とかんといかん場所かと思い、半ば嫌々行った。案の定、写真の方がきれいと僕は感じた。多分、心の余裕があればもっと感動してると思うが、この時は会うインド人、会うインド人に騙されており、純粋であった19歳の僕は完全に人間不信に陥ってた。。「インド人を見たら泥棒と思え」と疑心暗鬼。何をしても感動しない。。
カジュラホ
いやらしい寺院があると聞いて行ったとです。エロい心はまだ失ってはいないとです。確かにいやらしい石像が沢山あった。
それより、田園風景に感動しました。この寺院は確か田園の中にあったかと。田園風景が何か懐かしく、佐賀のじいちゃんの田舎に帰ったかのような錯覚に陥ったとです。一瞬ここにずっと居たいと思ったほどだ。(ほんの一瞬だけですよ。。笑)
僕の祖先がここに住んでたのでは、と思うくらい懐かしい風景でだったな。。日本人の遺伝子の中に、田園風景が刷り込まれてるのかな。。
インドで唯一、もう一度行ってみたい場所だな。
そこで出会ったインド人の兄ちゃんと仲よくなり、家に泊めてもらうことになった。質素な食事、土で作った家で羊が家を歩き回ってた。しかし、心温まるインドの家庭を味わえてインド人もいい人がいるんだなと感動したものだった。(この料理が、後々波乱を巻き起こす。。)、
しかし、次の日兄ちゃんは「100ドルでいいよ」とお金を無銭してきた。「やっぱり、お前もかい!!」と半分分かってましたが、30ドルに負けさせて帰った。(この頃はなんぼかインド人に慣れてきた。)
聖なるガンジス川
ここもインドに行ったら行かんといかん場所。(いかんいかんばかり、ですみません。。)
この道中、電車の中は人でパンパンだったが、オカマちゃんがずっと僕のあそこを触ってた。インドにも痴漢がおるんかい!と。。(オカマのチカン?チカンのオカマ?)
しかし、身動きが取れずなされるがままでしたわ。。この頃の僕は「成るようになれよ」と半ばあきらめの心境。
ガンジス川に行く途中に沢山の子供の物乞いに会った。彼らはお金をあげるまでついてくる。お金をあげても彼らをずっと救う事にはならないと思い、僕はお金をあげなかった。しかし、10代の僕にとっては衝撃的な出来事だった。辛い気持ちで半泣きで物乞いを振り払って行った。。
ガンジス川到着。
インドに慣れてきたので何が起こっても驚かなくなった自分が怖いが、汚かったな。記念に浸ったが、二度と行きませんわ。爆笑
喧噪のコルコタ
人が多い。それしか言えない。この頃お腹の具合が悪くなってきて、頻繁にトイレに行くことになる。カジュラホでインド人の兄ちゃんの家で食べた家庭料理だな。腹が痛すぎてコルコタの記憶があまりない。
ネパールに行く
時間がまだ2週間ほどある。このままデリーに帰っても時間が余ると思い、北上してネパールに行った。
カトマンズをバスで目指す。
バスが多すぎてどれに乗っていいのか分からん。これでいいのかよ、と思いながら乗る。しかし、腹が痛い。この頃は食べたものはすべて吐いていた。エネルギー源はコーラのみ。コーラしか喉を通らない。
満員バスに揺られながらカトマンズへ向かう。道中、恐ろしくk腹が痛い。トイレに行きたい。バスの運転手に身振り素振りで猛アピールして道端に停めてもらう。しかし、見渡す限り草原が広がる。トイレがないぞ。あまりバスから離れて、勝手に出発されるのも困る。こんな場所でバスに取り残されたら、死あるのみ。しかし、我慢が出来ん。。仕方ねえ。九州男児の恐ろしさを見せちゃる。ここでやったる。とバスの横で野〇ソしてやりましたわ。バスの乗客が皆、こっちを見てる。
正に「インド人もびっくり」。。笑
人生最大の恥だな。。バスに乗るとき、恥ずかしくて皆の顔が見れん。。
正直、あなたならどうします?
バスの中でしますか?それとも、人間やめますか?
カトマンズ到着
イミグレでいくらか払ってネパールに入国。もう記憶がない。唯一の残っている記憶は病院に行ったこと。ネパール人が並んでいる列に並んで病院に行った。で、病院の先生に「ダイアリア、ダイアリア」と身振り素振りで説明して、薬を貰う。薬と言っても2リットルのペットボトルに何やらわからん色の液体が入っている。信じて飲むしかないが、激マズ。。
ホテルを探して夜を過ごすが、雨が降ると停電。。暗闇が襲う。漆黒の闇とはまさにこの事。目を開けても閉めても同じやんけ!何も見えん。病気で孤独で暗闇。。こりゃ、下手したら死ぬなと真剣に思う。
次の日、ちょっと死ぬかもしれんと思い、母ちゃんに電話した。「俺、今ネパールにおるよ。」で、「どこのネパールね?あんた、何しようと。はよ帰ってき。」と。母ちゃんの声を聞くと「はよ、帰らな。」とエネルギーが湧いてきた。
早く帰らねえと!
薬が効いたのか、デリーに帰る途中に腹痛も収まった。やっと帰れる。
勝敗で言えば、1勝87敗ですな。1勝は、カトマンズ行きのバスのハプニングですな。(僕的には勝ちですが、人間としては敗北かな。。)
そして、日本に帰ってきて、吉野家の牛丼を死ぬほど食べましたとさ。
おしまい!!
1分56秒くらいから始まりますよ。。(お食事中の方、大変申し訳ございません。。)
読んで頂きまして有難うございました!
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